お釈迦様と苦行(ちょっと付け足し)

まだお釈迦様が若い頃、そこら辺にいるお坊さん達の間では、どこもかしこも悟りを開くには苦行、要はキッツい修行をするべきだ、と考えられていたそうです。

お釈迦様も当時、例に漏れず、何も食べない修行をしていました。
しかしそれを見るに見かねた、スジャータ(昔のCMを思い出しますよね)さんという女性に、そんなに苦しいことをせずにどうかこれを食べて下さい、乳粥(ちちがゆ)を渡されて食べることにしたそうです。

その時にお釈迦様は悟りを開くのに、苦行を行うのはなんか違うのでは?
と思ったと言われています。

実際に、スジャータさんから乳粥をもらい、体力を回復させたことで、お釈迦様は菩提樹の下で悟りを開いたと言われています。

ですが、当初は苦行をやめたお釈迦様は、苦行をやめたことで悟りを開くことができなくなったのでは?と不安になったそうです。

ですが、自分の師匠も、自分が苦行をやめたことで出て行った弟子も、苦行をやり続けても一向に悟りを開くことができていない。

「実は自分は今までずっと意味のないことをしていたのではないか」

上記の通り、古代インドでは、
悟り=苦行
と考えられており、お釈迦様はその中で育ったわけです。常識にとらわれて、苦行で死んでいった人ばかりで、悟りを開けない。
そんな中で考えを変えるというのは大変な事だったと思います。
苦行をやめたことで、師匠にも罵声をあげられたそうでし、弟子にも出て行かれた訳です。

でも結局悟りを開いたのはお釈迦様。
健全な肉体に健全な魂が宿る、と言ったところでしょうか。
苦行をしている人にはできない悟りをお釈迦様は開いた訳です。

ちなみに、今でこそ仏教の戒律は、アレはダメ、コレはダメ、などなど、禁止することばかり言っていますが、お釈迦様はほとんどのことを許容する旨を伝え、ある一定のことだけを禁止するように伝えたそうです(禁止することがなんなのか忘れてしまってもうわけない)。

あくまで禁止しなかったことに関しては、自分なりの答えを出すと良い。その程度の教えだけを残しています。

いろいろ長い経典や、口伝などが残っていますが、弟子やそこら辺の人が考えた後付けですね。


医療や獣医療においても、異端と言われた内容が、実際にはより患者さんにとって、回復をうながしたり、時には馬鹿じゃないの?とまで言われた治療方法が、後の主流方法になったりすることもあります。

ガリレオやコペルニクスなんかが有名所ですね。

みんなが違う!と言っている中で、これこそが本当のことだ!と伝えるのは凄まじく大変なことだと思います。
ですがそういう人達こそが、正しいことを発見してきたんでしょう。

最も怖いのは先入観。
一生懸命に治療をしているうちに、段々と間違ったこと、正しいことが取捨選択されてきて、これは治らない病気だ、とわかった時はとても残念ですし、飼い主さんにそれを伝えるのは申し訳ない気持ちになります(実際に診断に時間がかかる病気はたくさんあり、治療をしながらどんな病気なのか探るというのも基本的な方法の一つなので、単純に僕のせい、という訳ではないのですが、そう思ってしまいます)。

今後も先入観にとらわれず、頑張っていきたいと思います。

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