大学から獣医になって、まともな個人動物病院の獣医になるまで。誤字脱字が多すぎたため、再び掲載させていただいています。
僕の卒業した獣医生命科学は、勉強に関して学年1位をとると、その次の年度の授業料を、半額免除する、ということをやっていました。
残念ながら、3年生までそのことを全く知らないままでした。
最も公に知らせてくれよ!と思ったのを覚えています。
ちなみにぼくは3年の段階で、教授に10位以内に入っているぞ、やるな、と言われていました。
という訳で4年の時に一位を目指すことにしました。
前期は完璧、トップクラスを取った自信がありました。ですが、よりによって後期には大風邪を引くというミスをしてしまい、全く勉強できない、という状況で試験を受けることになり、追試こそないものの、トップを取るのは完全に不可能でした。
では、5年になってから1位を取ればいい、と思うかもしれませんが、努力の結果が完全に否定された気分になってしまい、5年次はいつものように軽く本を読んで記憶する程度で済ませてしまいました。
(ちなみに6年度は1位を取っても次の学年、というものが存在しないため、授業料半分免除にはなりません)
この時に思ったのですが、ほぼ確実に成功するだろう、と思っていた時に何かを失敗してしまい、目的を達せなくなる時ほど、やる気が無くなることはないな、と感じました。
実は僕は、ちょっと自慢ができるくらいには記憶力が良いです。
カメラアイ(どんなものでも一瞬でも視界に入ったら、それを写真で撮ったかのようにすべてを覚えていられる能力)ほどでは無いですが、教科書を速読で流し読みしただけでも、
いつもつまらなくて最前列で寝ていた授業のテストでトップを取ることができる、くらいの記憶力を持って生まれてきたのは、運が良くも悪くもあったと思います。
メリットはもちろん、日々の診察でも、ちょっと講義を受けたり、新しい書籍を読んでより正しい治療をすることができることでしょう。
デメリットは、20代で獣医になって社会に出るまで、完全に記憶力に頼りきった生き方をしてきてしまったことです。
普段なら応用を効かせて解くような問題も、教科書を丸暗記して高得点を取る、取れてしまったことで、獣医になって最初のうちは知ってることで対応して、細かい応用力が出せていなかった覚えがあります。
ですが流石に獣医になって20年近く。
特に、開業する前に働かせてもらった、忙しすぎて周りが対応しきれないほどの、奈良の病院で勉強、診察して、しっかりと自分一人で対応することが出来るようになりました。
ただし、奈良での生活は最悪と言っても良い状況でした。
アパートの上の住人に、両親と中学生2人で夜もトイレに行く音がうるさく、すぐ隣の初老も過ぎたおじさんは朝6時に演歌の練習のため、朝っぱらから演歌を熱唱する。
毎朝4時に出勤する人が、原付きで轟音を出しながら出社していく、
動物病院は忙しすぎて、夜中の1時まで働くとかはザラ(残業代はでない)、そんなサイクルを繰り返していたら、たったの1ヶ月で20キロ痩せてしまいました。
つまり、夜中の1時まで働いて、周りに迷惑をかけないようにシャワー、寝ようと思うと上の人のトイレの音がうるさく、4時までに寝ることが出来なければ、原付きで爆音を出して出勤する人がおり、6時には大声で演歌を熱唱するのを聞かされる。
頭がおかしくなりそう、というより、おかしくなっていました。
その後も、その病院では皆がみんな、忙しすぎて、院長からは看護師にちゃんと保定をしてもらえ、と言われるのですが、だれも手が空いている人がおらず、飼い主さんに保定してもらって診療したりしていました。
病院には行きませんでしたが、不眠症には完全になっていましたし、ノイローゼや鬱に近い状態になっていたのでは無いかと思っています。
今思えば、もっと家賃が高くても静かな物件に住めば良かったと思っています。
新入の獣医が何も言わずに、無断欠勤でそのまま出てこなくなることもあるほど多忙な病院でしたが、何とか一人でも診療を出来るようになって、千葉で開院することができました。
かなり長い間悩まされていた、応用力を活かせない、という悩みも解決できましたが、あそこまでおかしくなるほどの生活が必要だったかというと、ちょっと疑問が残ります。
何はともあれ、記憶力バカだった僕は、しっかりと応用力を身につけて開院できたことで、今の自分があるかと思うと感慨深いです。
ただ、初年度に雇った動物看護師の性格があまりにも悪すぎて、千葉に帰ってきても、一時期鬱になってしまったのですが。
古参の飼い主さんは良くご存知だと思います。
挨拶せず、飼い主さんにも院長の僕にも舌打ちし、初年度は暇だったので、飼い主さんと世間話もゆっくりできたところを、受付のカウンターを叩いて世間話をやめさせる。
冗談でニコニコ笑いながら、避妊手術って面倒くさいてすねー(実際は予防の患者さんが来てくれて嬉しい)、というとじゃあ獣医にならなければよかったんじゃないですか、ムッスリした顔で言ってくる。冗談も通じない。
ありがとう、というと、そんなに感謝しなくてもわかってるんで、しつこく言わなくていいです、と暴言を吐く。
世の中にこんなとんでもない人がいるのかと思いました。人に合わせられないのではなく、合わせる気がない。
動物看護師という仕事において、よく言われる言葉があります。
一年目は様子を見るため、ほぼサービス感覚で給料をはらう。二年目からやっと看護師が使えるようになってくる、給料を支払ってきたかいがあった、と言った感じです。
一年目だけ働いて、やめてしまう看護師は開業医からしたら、最悪な部類です。
ですが、その人はあまりにも酷いので、本当は数ヶ月経った時には途中で辞めてもらおうと思っていたのですが、一年目の動物病院に雇われてくれる看護師が他にいなかったため、しょうがなく雇い続けていました。本当はフィラリア予防の忙しい次期が終わったら辞めてもらおうと思っていますいたのですが、それこそ様子見の1年目だけ働いて、フィラリア予防時期が来る前の楽な期間だけ働いて、自分から辞めていきました。
その後、他の病院に就職したらしいのですが、あっという間に首になって、また雇ってくれませんか?と言ってきました。一年動物看護師をやったことで、他の動物病院でもまともに看護師をやっていけるとでも思ったのでしょうか。最初の面接でも思いましたが、自己評価が高すぎる人でした。
もちろん、結構ですと断らせていただきましたが。
今月から8年目に入りました。
まだまだ返さなくてはいけない融資の額も高額ですが、皆さんのおかげで頑張っていけています。
随分波瀾万丈な時期もありましたが、勉強のかいもあり(もうただ丸暗記するだけの応用力無し野郎じゃありません😁)、飼い主さん達のおかげもあり、それなりに立派に動物病院院長をやれてきているのでは無いかと思っています。
今後共、当院を応援していただけると幸いです。
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