有名な医学者、北里柴三郎とペスト

以前にも書いたかと思いますが、ペストとは、世界史上、最も大量の死者を出した病気です。

日本でも一時、大流行が懸念されたのですが、とある人物のお陰で回避されました。

同じ島国のイギリスではペストが大流行したのに、日本では大丈夫だった理由、
これは北里柴三郎という方のお陰と言われています。
北里大学の名前の元になった人ですね。
この人の名前は医者や獣医なら誰でも知っているレベルです。
北里柴三郎自体は獣医学とは全く関係ない人ですが、北里大学は日本に4つしかない、私立の獣医学部がある大学の一つです。
(実は日本で小動物の診察をしている獣医というと、私大出身の人が多いです。公立の獣医学部では大動物や公衆衛生、農林水産系の事しか教えてもらえないので、かなり独学で頑張る必要が出てきます)

ペストの流行を防ぐに当たって、まずはペストの原因菌を究明する必要がありました。
北里柴三郎はフランスまで行って、フランスのパスツール研究所でペスト菌を世界で初めて発見しました!そう、北里柴三郎が最初の発見者で、その一週間後くらいにアレクサンドル・イェルサンという人がペスト菌を同様に発見しています。

ですが、ペスト菌の発見によりノーベル賞を受賞したのはイェルサンだけなんです。
人種差別が理由とも言われていますが、実のところ、ノーベル賞をもらうには、その賞の部門において、著名な人の推薦が必要なんです。
細菌学は確かノーベル生理学賞だったと思います。つまり、人種差別ではなく、北里柴三郎は当時は世界的に有名では無かったので、推薦者がおらず、ノーベル賞がもらえなかったのでしょう。残念なことです。

他にも世の中には、推薦者がいなかったことでノーベル賞をもらえなかったすごい人、というのは結構いるそうです。

ですが、この北里柴三郎を熱烈に支持した日本の著名人がいます。
なんと福沢諭吉です。研究に当たり、主に資金面で助けてくれたそうです。
諭吉を何札いただいたのでしょう?なんてね。

後に北里柴三郎は、その恩返しのため、福沢諭吉が設立した慶應義塾大学の教授になっています。色んな大学からスカウトがあったそうですが、東大とは仲が悪かったそうです。

さて、ペスト菌の発見の次に北里柴三郎が行ったのが、ペスト菌を日本に入らせないことです。

なぜペストが感染するのか、何が原因で広がるのか?
よりによって1894年、香港でペストが流行していたため、北里柴三郎は急いで香港に行って、すぐにでも媒介する生き物を発見する必要がありました。
そう、1894年は日清戦争が起こった年。
北里柴三郎が香港に渡ったのは、戦争開幕1週間前だったそうです。

ですがペスト患者が出ている家では大きな鼠がいることをすぐに発見します。
ペストはネズミ自身と、寄生しているノミが媒介していることに気づきました。

戦争直前で普通は険悪になる状況でありながら、ペストの原因発見により、香港でも大感謝されたそうです。

こうしてペストを流行らせないために、日本ではネズミを捕獲大作戦が行われました。
沖縄のハブみたく、一匹5000円とはいきませんが、当時の金額でネズミを一匹捕まえると、天丼一杯食べられるくらいのお金をもらえたそうです。

こうして日本ではペストが流行することはありませんでした。
同時に、今度はペストを媒介する動物まで発見したのに、やはりノーベル賞をもらうことはできなかったそうです。

ですが、現在では医者ではなく獣医を目指す獣医学部でも北里柴三郎のことを授業で必ず習います。
感染症学の巨星、と言われて、世界的にも超有名人。

ちなみにペスト菌を初めて発見しただけでなく、血清療法を開発した人でもあります。
破傷風の血清を初めて作ったのもこの人で、医学への貢献は計り知れないレベルです。
マムシやハブの毒で死なずに済むようになったのも、破傷風やジフテリアを治療できるようになったのも北里柴三郎のお陰です。

福沢諭吉の人を見る目もまたすごいですね。
彼ならやれる!と思ったんでしょうね。

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